火事場泥棒もラクな仕事じゃない

 

「ジェシー、何をしている」

 

 咎めるような低い声音で呼びかけられ、ジェシーは声の主を振り返る。自分の立つ雪道の数歩先から睨み付けてくるのは、ロングコートの背の高い男――同僚のレイだ。暗い夜道の中ランプの灯りを手に、白い息を吐いている。「わかってるよ」と手を振って合図をすると、レイはいつも通り、整った顔の中でぎゅっと眉を寄せた。

 

「じゃあな、楽しかったよ。バイ」

 今まで会話していた同年代の少年に軽く別れの挨拶をすると、ジェシーはレイの元へ走った。

 

「情報収集のついでだよ。そう怒るなって」

「怒ってはいないさ。ただお前には社員としての自覚がまだ足りていないようだと、再認識させられたがな」

「ヘイヘイ、どうせ下っ端ですよっと」

 

 ジェシーの悪びれぬ態度に、レイは何か言いたげな表情を見せたが、結局は口をつぐんだ。無口な男なのだ。

 

 ジェシーとレイは西暦2516年から派遣されたロッカーズの社員である。

 今いるのは1863年1月27日のポーランド、ワルシャワ。歴史上「一月蜂起」事件が勃発した次週にあたる。

 

 二人は一週間前からこの街に滞在し、マーケットプレイスに背を向けた古めかしいアパートの一室を見張っている。貧乏学生トマシュ・シマンスキの借り家である。この学生、のちに有名になってもおかしくない価値のある小説を書いているのだが、一月蜂起の影響でその原稿を発表しないままに亡くなるのだという。

 そのオリジナル原稿を回収することが、今回ジェシーとレイに与えられた任務だった。

 

 しかし当のトマシュは最近家にこもりきりで小説原稿を書き進めており、まだ二人は手の出しようがないのである。

 

 ジェシーは古びた石造りの建物の一室を見上げた。ランプの黄色っぽい灯りがわずかに漏れている。おそらくトマシュは、今も静かに小説に向き合っているのだろう。

 

「にしても、動きがないな。ただじっと見張ってるってのもラクな仕事なじゃないね」

「そうだな。一度宿に戻るか」

 

 二人は早足で自分たちの宿を目指した。ヴィスワ川の方から吹きつける風が雪をのせて二人の体に吹きつける。街は、国旗を身につけた若者たちや、銃を持った青年たちが歩き回り緊張した空気が支配している。それを避けるように狭い通りを抜け、トマシュのアパートからそう遠くない2階建ての宿屋に入る。

 

「さみぃー」

 狭い部屋に入るなり、悲鳴のような声をあげ毛布にくるまったジェシーに、レイは丸みを帯びた小さな端末を放る。

「それでトマシュのデータを再確認してくれ。私は宿の主人に情報収集してくる」

「…あいよ」

 

 レイはすぐに部屋を出て行ったが、ジェシーは渡された端末をいじりながら唸った。これは2500年代で誰もが使っている携帯機器らしいが、ジェシーにはその使い方がイマイチ理解できないのだ。

 

 それもそのはず、通常のロッカーズ社員と異なり、ジェシーだけは2500年代の人間ではない。1923年のアメリカから最近連れられてきた、特殊な事情を抱える社員だった。

 

 ジェシーはしばらく無言で「遥か未来の」端末と格闘していたが、やがてあきらめて窓の外の雪景色を見つめた。路上に積もった雪が月明かりを反射し、目に眩しかった。そして自分の目には古めかしく見える服装の人々が、狭い通りを行き来している。マーケットプレイスが近いため人通りも多い。どこかの一角から、学生たちが声を張り上げて演説しているのが聞こえて来る――「ロシアなんかに酷使されるな! 私たちポーランド国民は誰にも支配されない!」――一週間この時代、この場所に滞在していたが、未だにまるでスクリーンを通して映画をみているような疎外感を覚える。時を超えたとはいえ、ここは現実の世界、現実の1863年である。しかしそこの中にいる自分というものに未だに実感がもてないのだ。

 

 ジェシーは左耳のピアスに触れた。冷たい空気のなかで氷のように冷えた小さな金属は、ロッカーズの社章をかたどっている。まるでその社章を、家畜の耳につける識別番号のように感じることがある。自分は支配されている――。

 

「ロシアに支配されるな!」

 

 そのとき、若者たちの演説を遮るように、甲高い悲鳴が遠くから聞こえた。

 

 驚いて外を凝視する。二つほど先の通りから、どうっと赤い光が溢れていた。そこから悲鳴や怒号とともに、人々の小さな黒い影が駆け出してくる。

 

 なんてこった!

 

 ジェシーは毛布を跳ね上げ、部屋を駆け出した。宿の一階に降りたところでレイと鉢合わせする。

「火事だ! トマシュのアパートに近い!」

 レイはすぐに表情を引き締め、宿から駆け出た。

 

 外は口々に怒鳴り声や悲鳴をあげる人々で混乱を極めていた。「デモ隊が火をつけたんだ! 俺は見た!」と誰かがしきりに訴えている。

 二人は火事から逃げる人々の波に逆らい、炎に包まれた通りを目指した。

 

 トマシュのアパートのすぐ裏側、マーケットプレイスから火の手が上がっていた。木材が大きな音を立てて焼け落ち、大量の煤が降り注ぐ。目の前までくると熱風がひどく、熱い空気を吸い込むのが辛い。喘ぐように呼吸をしながらトマシュのアパートを見上げた。もう火の手は回っており、窓から炎が噴き出している階もある。

 

「入るぞ」

 コートを脱ぎ捨ててそう言い放つレイにぎょっとする。

「こ、こんな炎の中に飛び込むってのかよ! 正気じゃないぜ」

「これが仕事だ」

「……っ」

 この仕事一辺倒が! ああ、わぁったよ!

 

 手近にあった馬用の水桶から冷たい水をかぶり、二人は真っ赤に燃え盛るアパートへと飛び込んだ。うねるような炎が狭い廊下を覆い、ごうごうと激しく燃やしている。吸い込んだ熱風に咽せ、顔を腕でかばうようにしながら燃え落ちかけている階段を上がる。二階の廊下の途中には、煙に巻かれた住人が倒れ、炎に包まれかけていた。

 

 助けようと伸ばした手を、レイに掴まれる。レイは口元を覆ったまま何も言わなかったが、目が「助けるな」と言っていた。「その時代の人間の生死に関わってはいけない」――ロッカーズの基本ルールだ。

 

 ジェシーはどろどろとした罪悪感を振り切るように早足でトマシュの部屋を目指した。

 

 トマシュの部屋のドアは閉ざされていた。バックドラフト現象を警戒しつつ目で合図を送り、レイがドアを蹴破る。途端に生物のようにごうっと炎が噴き出した。

 

「くっ……」

 燃え盛る部屋の中で、華奢な青年がうつ伏せに倒れていた。トマシュ・シマンスキだ。

 レイは真っ先に机の上に散らばった紙片をかき集め始めたが、ジェシーはトマシュを抱え起こさずにはいられなかった。

 

「おい、しっかりしろ!」

 揺さぶると、トマシュは青い目を薄く開き、弱々しく息を吐いた。

「――夢だと思ったんだ。自分の部屋が燃え始めたときも……眠かったから、夢だと思った……」

「夢じゃねえよ、逃げるぞ!」

「ジェシー!」

 レイの鋭い声が飛ぶ。

「ジェシー、彼には手を出すな。原稿を集めてくれ!」

「このままじゃこいつが死んじまう!」

「ロッカーズのルールを忘れたのか!」

 

 部屋はあっという間に炎が回り、もうほとんど逃げ場がなく、高温と煙のせいで意識も朦朧としかけていた。腕が今にも燃えだしそうに熱い。そんな切迫した状況の中で、レイはくっと表情を歪め、背中のベルトから銃を取り出した。

 

「……おいレイ、何す…」

 

 アパートが軋む音に混じって、銃声が轟いた。レイに胸を撃ち抜かれたトマシュは、一瞬目を見開いたと思うと、喉を息がかすめるわずかな声とともにジェシーの腕の中で力を失っていった。

 

 ジェシーはあまりのことに言葉をなくし、トマシュの光を失った瞳を見つめた。

 

「――原稿を集めろ。すぐに脱出するぞ」

 

 ジェシーは呆然とした意識のまま機械的に腕を動かし、燃えかけた紙の束を集めた。ほとんど焼けてしまった紙片もあった。

 

 

『これは現実だろうか?』

 

 

 紙片の中にそんな言葉が書きつけられていたのが、目に付いた。