午後8時ぴったりにロッカーズのタイムマシン実用室――通称「ロッカールーム」を訪れた。ガラス張りのドームのような広大な空間に、数え切れないほどの金属製ロッカーが並んでいる。それぞれの扉には、517だの1800だのと、通じている時代の年数が振られている。それこそ紀元前から現代2516年まであるとしたら、1日で数えるのは無理だろう。
「おはようジェシーくん!」
ロッカールームの入り口ゲートで、明るい声に呼び止められた。よく話しかけてくる同僚の――ええと、リクハルドだったか。新素材プラスチックだかのメガネをかけた、にこにこしてる男だ。リクハルドはスクーターのような乗り物で宙を滑って、ロッカールームを歩くジェシーの横を並走する。
「今日はどこに行く任務だい?」
「1930年のニューヨークだってさ」
「滞在任務?」
「さあな。行方不明者の捜索任務だから、何かしら成果がないと帰って来れなそうだ」
まあそれはそれで、オレにとっては都合がいいんだけど。
「1930年のロッカーまで距離があるだろ。送って行ってあげるよ」
ジェシーはリクハルドの好意に甘えて、スクーターの後ろに乗った。社員たちがそれぞれの任務へと赴く頭上を、スクーターで空を切り一気に駆け抜ける。
「いいね、未来サイコー!」
「はは、最初の頃は『オレのイケてた時代ぃ』とか泣きそうになりながら言ってたじゃないか」
「……そうだっけ」
間も無く1930年代のロッカーの並びに到着し、スクーターはふわりと降り立った。
「サンキュ、リック」
「どういたしまして、じゃあ任務ガンバッテね~」
リクハルドはそのまま再び宙を滑って去っていった。
レイはすでに1930年のロッカーの前で、着替えを済ませて待っていた。中折れ帽にダークブラウンのトレンチコート、中にはダブルジャケットスーツ。さすがに以前1923年に滞在していた経験があるからか、違和感のない服装のチョイスだった。
ジェシーも1930年のロッカーに入り、まるでちょっとした「風俗資料館」のような空間から自分好みの服をチョイスする。
お、ランバンのシャツにベスト! サイコーだぜ、これにしよう。
二人はロッカーの奥のもうひとつの扉を開けた。
そこには、1930年2月23日のニューヨークが広がっている――石畳の道路に黒い煙を吐きエンジン音を響かせる車、中折れ帽の紳士やワンピースの華やかなファッションの女性が歩く雑踏。小洒落たカフェから漂う挽きたてのコーヒー豆の香り――サイコーにイケてた、オレの時代の7年後。あんまり変わってなくて安心した。
二人は自然な動作で雑踏に紛れ込んだ。彼らが未来から来た人間だと見分けるポイントは、それぞれ左耳のピアスと、ネクタイピンとして身につけた社章以外にない。
「で、ミス・ホワイトってのを探すんだろ。ニューヨークったってかなり広いぜ、どうやって探すんだ?」
「社章に埋め込まれたHGPSで位置を特定する」
「……ヘイ、『この年代の英語』を喋れよ」
レイは「ああ」と気付いたように顔を上げ、補足した。「ハイクオリティ・グローバルポジショニング・システムという機能が社章に埋め込まれていてな。同じ年代に来れば、この端末で位置を特定できるはずなんだ」
「地図を見て追うだけかよ」
あまりに簡単そうな作業にジェシーは拍子抜けした。
「なんだよ、わざわざオレたちを派遣した意味あんのか?」
「――私が志願した。この年代の任務は私に優先的に回してもらっている」
ジェシーはワケありげなレイの顔を見つめ「なんでだよ」と問うたが、いつも通り答えは返ってこなかった。ちぇっ。
レイは周囲の目から隠すようにこっそりと腕の端末を操作し、やがて「見つけた」と呟く。
「ブルックリン橋の近くだな。ええと…」
「見せてみな」
地図を眺めて考え込んでいるレイの横から覗き込む。
「今いるのが市庁舎の近くだから、橋まではここから15分くらいだな。案内は任せな」
「ああ」
ジェシーはレイから渡された端末の画面を確かめながら、赤い光の点滅している場所を目指した。程なくしてマンハッタンへと伸びる大きな吊り橋が見えてきた。
しかし、とある違和感を覚える――自分たちの位置と、赤い光が近づくにつれ、その違和感は大きくなっていった。
レンガと鉄骨で組み上げられたブルックリン橋を数メートル渡った時点で、ジェシーは自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
「レイ。ホワイトは――川ん中だぜ」
「何っ…」
マンハッタンから吹きつけてくる冷たい風を受けながら、イースト川を見下ろす。はるか眼下に広がる水の流れは、川と言いながら海峡であることを示すかのように青黒く静かに波打っていた。
「死んでんのかな……」
ジェシーが呟くと、レイは「確かめよう」と言いながらコートを脱ぎ、橋の下の岸辺まで早足に歩んでいく。
「おいおいおい、あんた未来っ子だから川遊びなんてしたことないんじゃないのか?」
「ロッカーズ入社には体力試験もある。もちろん水泳もな。それよりお前はついてくるな、それこそ溺れかねない」
ジェシーはむっとしながらベストとシャツを脱ぎ、レイに放り渡した。
「田舎出身の先人様ナメんじゃねえよ。オレがやる」
「――わかった、任せよう」
レイから防水加工済みの端末と未来式携帯ゴーグルを借り、ジェシーはイースト川に半身をつけ数歩進んだ。長く浸かっていれば凍死するであろうほどに冷たい。海にそのまま通じてるだけあって流れは急であり、この中を潜っていくのは至難の技だ。かつて故郷の川で溺れた経験からわかる――あと数歩進めば、足をすくわれる。橋の支柱部分につかまりながら、「レイ!」と叫ぶ。「レイ、丈夫なロープはないか? このままじゃ流されちまう!」
レイはそれを見越していたのか、すでにカバンから長いロープのようなものを引っ張り出しており、その一方の端を放ってよこした。金属に似た伸縮する細い糸が、見たこともない特殊な編み方をされて一本のロープになっている。ジェシーはそれを腰に固く結びつけると、片手を支柱につきながら慎重に進んだ。足はとんでもない質量の水の抵抗を受けて重い。端末が示す赤い光が間近になったところで、一気に水中に潜り込んだ。ゴーグルを通して見る水中は泥で濁って暗く、まるで闇夜で手探りをしているような感覚だ。それに支えを失った体は必死に抵抗しても一気に押し流され始める。ロープをつけていなければ危なかっただろう。
何度か息継ぎを繰り返しながら水中を探っていたところで、岩石の間に挟まっている銀色の物体を発見した。それを取るともに、その周囲の状況を探る。
やがて水面に上がったジェシーは、「くは――っ」と思い切り肺に息を通した。
「大丈夫か!」と岸から呼びかけるレイに、切れ切れに息をつきながら手を振る。重い足を引きずって岸へあがり、握っていた手を開いて見せた。
「これだろ、反応してたのは――」
シルバーの指輪だ。ロッカーズの社章がかたどられていた。レイは指輪を受け取って観察すると、川に鋭い目を向ける。
「指輪だけだったか」
「ああ、あのへんには指輪以外、ホワイトの痕跡はなかったよ。もし『指輪をつけた遺体が川に遺棄された』としたら、絶対になにかあるはずだけどな」
「指輪だけが捨てられたようだな」
ジェシーは内心、少しほっとしていた。ミス・ホワイトは死んでいない可能性がある。それに、川の中で腐食した遺体に対面してしまったらどうしようかと思っていたのだ。しかし指輪だけ捨てられているという今の状況も、どうにもわからない。
「ご苦労だった」と言いながら、レイはタオルを差し出してくる。しかし今のジェシーはタオル一枚でどうにかなる汚れ具合ではなかった。全身から泥水を滴らせ、金髪にも泥が絡み潮くさい。くそ、やっぱつまんない意地はらないでレイにやらせりゃよかった。
「ったく、ラクな仕事じゃないね。な、今回の任務でもどこかに宿をとってあるんだろ。一度シャワーに入らせてくれ――」
「そうだな。私もその間にホワイトに関する情報をまとめておこう」
二人は一度、バワリーにとってあるホテルへ向かった。